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世界の国情報 > アジア > 東ティモール民主共和国
国名:
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東ティモール民主共和国 |
The Democratic Republic of Timor-Leste
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地域:
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アジア |
国際電話国番号:
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670 |
言語:
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テトゥン語(国語)、ポルトガル語(国語)、インドネシア語(実用語)、英語(実用語)、その他多数の部族語
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日本との時差:
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-1時間 |
人口:
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約94.7万人(2005年) |
面積:
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約1万4,000平方キロメートル(首都4県(東京、千葉、埼玉、神奈川の合計面積)とほぼ同じ大きさ) |
歴史/略史:
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16世紀以前 リウライ(王)が割拠する王国乱立。 16世紀前半
ポルトガル、東ティモールに白檀を求めて来航、ティモール島を征服。 17世紀半ば オランダ、西ティモールを占領 1701年
ポルトガル、ティモール全島を領有 1859年 リスボン条約で、ポルトガルとオランダの間でそれぞれ東西ティモールを分割 1942年
日本軍、ティモール全島を占領 1945年
第2次世界大戦終了後、ポルトガルによる東ティモールの支配が復活(西ティモールはインドネシアの一部として独立) 1974年
ポルトガル本国でクーデターが発生し、植民地の維持を強く主張した旧政権の崩壊に伴い、東ティモールで独立の動きが強まる 1975年
独立派(フレテリン等)と反独立派の対立激化。フレテリンが東ティモールの独立を宣言した後、インドネシア軍が東ティモールに侵攻し制圧 1976年
インドネシア政府、東ティモールを第27番目の州として併合を宣言 1991年 11月、サンタクルス事件発生(インドネシア軍による独立派虐殺事件)
1992年 11月、インドネシアがシャナナ・グスマン司令官を逮捕(1999年に釈放) 1998年
5月、スハルト・インドネシア大統領が退陣、ハビビ副大統領が大統領 に就任。インドネシアは、東ティモールの独立容認へ方針転換 1999年
6月11日、国連安保理は国連東ティモール・ミッション(UNAMET)設立を決定する決議1246を採択 8月30日、独立についての直接投票実施 9月4日の結果発表直後から、独立反対派の破壊・暴力行為が急増し現地情勢は急激に悪化 9月15日、国連安保理は多国籍軍(INTERFET)の設立を認める決議1264を採択 10月20日、インドネシア国民協議会は東ティモールからの撤退を決定 10月25日、国連安保理は国連東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の設立を決定する決議1272を採択 2000年
7月、東ティモール暫定政府(ETTA)発足 10月、国民評議会(National Council)発足 2001年
8月30日 憲法制定議会選挙実施 9月20日 東ティモール行政府(ETPA)発足 2002年
3月22日 憲法公布 4月14日 大統領選挙実施、シャナナ・グスマン氏が当選 5月17日 国連安保理による国連東ティモール支援団(UNMISET)の設立を決定する決議1410を採択 5月20日 東ティモール民主共和国独立 9月27日 国連加盟
2004年 12月、各県にてスコ(村)・アルディア(小村)選挙開始 2005年
4月28日 国連安保理は国連東ティモール事務所(UNOTIL)の設立を決定する決議1599を採択 2006年
4月28日 離脱兵による抗議活動に関連し暴力行為が発生し政府は軍を投入 5月初旬~ 憲兵隊員が国軍から離脱、国軍本部等を襲撃 5月25日 豪、ポルトガル、NZ、マレーシアは、東ティモール政府の要請を受け国際治安部隊を派遣 6月26日 アルカティリ首相辞任 7月10日 ラモス・ホルタ外相が首相就任 8月25日 UNOTIL任務終了。国連東ティモール統合ミッション(UNMIT)の設立を決定する決議1704を採択 2007年
2月26日 UNMITのマンデート延長を決定する決議1745を採択 4月9日 大統領選挙実施 5月9日 大統領選挙決選投票実施 5月20日 ラモス・ホルタ前首相が大統領就任 6月30日 国民議会選挙実施
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その他:
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テトゥン族等大半がメラネシア系種族で、その他マレー系、中華系等 キリスト教99.1%(大半がカトリック)、イスラム教0.79%
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